2010年5月27日木曜日

会話と粒言

教えていた通訳学校の社会人の生徒さんに誘われて mixi に入ったのは覚えている。
でも1年以上放っておいたかな。
その内、周りの人からマイミク申請がきて、あ、そういえば入っていたな、と思い出した。
色々な人が見たり、探していたりするんだ、ということに気付き、じゃ、「殺しておく」よりは、と思い、ひと月に一回くらい雑文を書く事にした。
コメントがあるのでそれなりに楽しくやっていた。
タイトルや内容に制限を設けて、短歌・俳句形式なども元来好きだから。

Facebook は確か、学生に、先生やってないんですか?,と聞かれてその存在を知り、アクセスして登録だけしておいた。
これも「殺したまま」だったが、徐々に「お友達」が増えて来ている。

今やっているこの Blogger は mixi で短歌を書いていたときに、オープンな場所の記録帳が欲しかったので、これは珍しく自分からスペースを探して作った。

でも、これらを書く内容で区別したりして書き分けるほどネタを探す時間はなかったし、今もない。書く時間もない。

大学でIT系の技術屋をやっている友人から Twitter に誘われて、これも何か分からないままに入った。
「つい言った〜」にも慣れないままに、その友人と新橋で酒を飲んだ日、Twitterって何やねん。とお互いに言った記憶がある。

その瞬間、四国の田舎のばあさんが、携帯ってなんやろ、メールってなに?と言った記憶とシンクロした。
持っていても鳴らない携帯。
打てないメール。
メディアを「殺している」。
いや、うちのばあさんは携帯は持ってないけど。

打てない、という技術や慣れは別にして。
鳴らない、というところが多分ミソなんだな。

Twitter はそこをついたんだな。
つぶやき、と。
うまくやったものだ。

つぶやきも聞かれてるなら、またそう意識するなら、つぶやきではない訳で。
しかし聞かれないと、メディアとしては鳴らない電話な訳で。
聞かれているかも、というほんのりとした、実に巧妙な隙間産業ですな。

無数のチャンネルを持つ短波ラジオ。
聴かれているかも。
昔から形は違えあったのだ。この形式は。

そして一応文字数が制限されているので、あのリスト表示形式がそのざわめき感を強調する。
また形式が、従来の日記(ノート感覚)ではなくて、携帯メール(付箋感覚)という…。
ざわめきの中で、ぼそっと感を引き立たせる訳だ。

「聞いてくれ姿勢」なら今までの Blog と何ら変わらなくなる。
それならノート感覚と付箋感覚という表示形式だけの違い。
違うのは、聞いてくれと、聞かなくっていいんだよ、という間に位置するぼんやり感。
プラス、形式の手軽さ。

コメントなくたっていいよ、の寂しさ(笑)
呼べども出ない電話。
聴衆のいないラジオ。
その寂しさを、つぶやき、ということでニュートラルにする。

フォーロー(する)、つぅ言葉がまたちょうどいいじゃないですか(笑)いろんな意味で。
日本語での考えですけど(笑)

プラスにもマイナスにも先行きが面白そうだな。
利用してやろう、なら色々出来そうだし。
無数の付箋の束なら、言葉の垂れ流しで、まぁ、いままで何処にでもあった話だから面白くもない。

Facebook やその他のメディアの掲示板も本当は同じ機能なんだけど、それに特化するかどうかの差は大きかったわけだ。
mixi もこの機能を付けて便利にしたとたんに人気のようだしね。
アクセス数が大事な企業サイトにとって、これはありがたいことだろう。

今回はソフトメディア(と僕は呼ぶ)を自分がどう思っているのかを整理するために書きました。

で、今は、twitter を中心に Facebook の掲示板と mixi のボイスを連携してマルチ放送をしている(笑)
スペインにいる間はそんな感じで。