2018年12月25日火曜日

ブログの書き方忘れた「災」

「災」という字に相応しい年だったなと思う。
列島にとってもそうだったと思うが、僕自身にとっても本当に「災」だったなと思う。
喪服も知人・親類含めて4回着た。
愛媛に帰る回数がお袋の死んだ7年前と同じかそれ以上だった。
そう、7月7日の西日本の洪水から始まる一連の災害が決定的に「災」だった。
未だに、愛媛の方は大丈夫ですか、と尋ねられ、生活は普通にできています、と応える。我が家族は、である。
普通に生活する、ということの尊さは普通に生活できない状態を知ってしまった人にしか分からない。想像の及ばない詳細があることが普通でないことなのだと知った。
嘆いてばかりもいられないので普通のペースに戻そうとすると、人の死がかぶさってくる、というような波のリズムだった。
形式主義者ではないが。クリスマスや正月があるからどうの、ということは全くなく、しかし世間の波に合わせるというくらいのセンチメンタリズムくらいは持っているが。
今年ばかりは、年が変わるということに何らかの意味を置きたくなる。
書くことで日常に戻ることができればとも思う。
書くことは祈りでもありますね。