学生来訪者、ふたり目。
とはいっても、彼女は先月末から半年間在西の予定。
週末、マドリード観光をしに、北の町、ソリアからバスに乗ってやってきた。
なんか、立派なカメラを持って。みんなの注目の的。
いつものようにこゆきの散歩がてら、マドリードの観光をして。
こゆきも日本人の方が落ち着くようで、慣れが早い。
Aさんには特になつくのが早かった。
柔らかいんだな、物腰が。
そして、バルで、うちで、色んな話をした。
ちょっとアナロジックにいえば。
スペイン人は本当に身の丈を知っている。
それは未だ残る、貴族・平民文化の社会的構成もあるが。
未だ、貴族は貴族だし、平民は貴族にはなれない。
マイナスの意味ではなく、自分の身の丈を知って、そこで本当に一生懸命頑張る。
身の丈を知ると、余計なプレッシャーがなく、楽しみながら頑張ることが出来る。
そして実力を発揮できる。
象は蟻になれないし、蟻は象のようには歩けない。
無理をすると、隣の象に踏みつぶされてしまう。
日本という国はブランド社会で、物質的にもそうだが、精神的にそうなのが少し困ったところだ。
ビトンやチャネル(スペインではシャネルをこう呼ぶ(笑))は買えるが。
精神的、社会的な、例えば身分や、学歴、というのはお金ではなかなか難しい。
最近では、セレブ、なんてのがそうかも。
皇族になるのは難しいが、日本は出世して成り上がることが割と簡単な国だ。
出世ってなに?っていう純粋な疑問は置いといて。
そこで、セレブ、というブランドを冠したりする。
成り上がりは「セレブ」とは呼ばないのかな?でも今は一緒になってるよね。
「どう成功したか」が大切なのに「セレブ」というひとくくりになる。
「東大」でどう勉強したかが大事なのに「高学歴」でひとくくりにして判断する。
どのように高機能で丈夫なものかを確かめもせずに「ビトン」だから買う。
僕は世代論が大嫌いだが、日本って「〜世代」って好きでしょ。
ブランドで判断するのは、つまり、そこで思考を停止している、ということ。
というような話をしたわけです。
シュウカツ前のうら若き乙女と、そして、百戦錬磨の連れ合いと、知らんぷりのこゆきと(笑)
スペインはブランドはないなぁ。
ひとり一人がミニブランドのように濃い。
これは見習わなくちゃ。
そして裏返すと。
みんな楽して幸せになりたいよなぁ、と叫んでいた、忌野清志郎が、そのままスペインでは生きているような気がするのは僕だけかな(笑)