2010年7月27日火曜日

大学と時間

学生来訪者、ふたり目。
とはいっても、彼女は先月末から半年間在西の予定。


週末、マドリード観光をしに、北の町、ソリアからバスに乗ってやってきた。
なんか、立派なカメラを持って。みんなの注目の的。


いつものようにこゆきの散歩がてら、マドリードの観光をして。


こゆきも日本人の方が落ち着くようで、慣れが早い。
Aさんには特になつくのが早かった。
柔らかいんだな、物腰が。


そして、バルで、うちで、色んな話をした。


ちょっとアナロジックにいえば。

スペイン人は本当に身の丈を知っている。
それは未だ残る、貴族・平民文化の社会的構成もあるが。
未だ、貴族は貴族だし、平民は貴族にはなれない。
マイナスの意味ではなく、自分の身の丈を知って、そこで本当に一生懸命頑張る。
身の丈を知ると、余計なプレッシャーがなく、楽しみながら頑張ることが出来る。
そして実力を発揮できる。

象は蟻になれないし、蟻は象のようには歩けない。
無理をすると、隣の象に踏みつぶされてしまう。


日本という国はブランド社会で、物質的にもそうだが、精神的にそうなのが少し困ったところだ。
ビトンやチャネル(スペインではシャネルをこう呼ぶ(笑))は買えるが。
精神的、社会的な、例えば身分や、学歴、というのはお金ではなかなか難しい。
最近では、セレブ、なんてのがそうかも。

皇族になるのは難しいが、日本は出世して成り上がることが割と簡単な国だ。
出世ってなに?っていう純粋な疑問は置いといて。
そこで、セレブ、というブランドを冠したりする。
成り上がりは「セレブ」とは呼ばないのかな?でも今は一緒になってるよね。

「どう成功したか」が大切なのに「セレブ」というひとくくりになる。
「東大」でどう勉強したかが大事なのに「高学歴」でひとくくりにして判断する。
どのように高機能で丈夫なものかを確かめもせずに「ビトン」だから買う。
僕は世代論が大嫌いだが、日本って「〜世代」って好きでしょ。

ブランドで判断するのは、つまり、そこで思考を停止している、ということ。


というような話をしたわけです。
シュウカツ前のうら若き乙女と、そして、百戦錬磨の連れ合いと、知らんぷりのこゆきと(笑)

スペインはブランドはないなぁ。
ひとり一人がミニブランドのように濃い。
これは見習わなくちゃ。

そして裏返すと。
みんな楽して幸せになりたいよなぁ、と叫んでいた、忌野清志郎が、そのままスペインでは生きているような気がするのは僕だけかな(笑)