2010年6月1日火曜日

海外と墓場

こちらに来て、既にこちらで家庭を持っている日本人、これからそうなるであろう日本人何人かと会った。
僕のそれらの知り合いはたまたま全て女性だ。

ちょうど想いを馳せていた。
散歩やウォーキングをしながら連れ合いと。

彼女達はこれからこちらで歳を取って、おばあちゃんになって、スペインで死んで、墓にはいるのかな、と。
深くは考えないままに、なんか凄いなぁ、と想っていた。

そしたらタイミングのいい事に、「ほぼ日」の今日のダーリンで。
(ほぼ日刊イトイ新聞5月31日版「今日のダーリン」より抜粋)

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・青山霊園には、たくさんの外国人のお墓があります。
いろんな理由で、さまざまな事情で、
日本に来て、なにかをなした人たちなのでしょう。
大きさもあるし、かたちもていねいにつくられていて、
きっと当時の人々に、大切に葬られたんだろうなぁと
想像することができます。

江戸から明治にかけて、日本が開国し、
新しい制度、新しい産業、新しい文化をつくるためには、
「先進国」からきてくれる
たくさんの「外人」さんたちが必要だったわけです。
その要請に応えて、この島国にやってきた人たちが、
たくさんいたんだろうなぁということを、
日本のとちがったかたちのお墓を見ながら
「犬とおとうさん」はしみじみ思うんですよね。

そしてね、この外人墓地の数々が、
だんだんと「無縁仏」になっていってるらしいんです。
故郷を離れて、この島国にやってきたのだから、
親族やらたくさんの友人たちとは、
いったんお別れしてきたわけですから、
お墓参りする人や、
管理料を定期的に支払う人も
途絶えてしまうということだって、
そりゃ、あるでしょうよねぇ。
外国で骨をうずめるって、そういうことなんだなぁ。
国際的な仕事が求められているとか、
国境を越えた活躍とかって、よく言われるけれど、
ストーリーは、こんなに先までつながっていくんですね。

じぶんの骨が海外に埋められているところを想像して、
散歩中の「犬とおとうさん」は、
じーんとさみしい気持ちになったりしてます。
それでもこれからの時代は、
海の外へ向うこと、国境のあっち側へと向う人が、
多くなっていくんだろうなぁ。
そういう人は、お墓に入るときには戻るのかな?
‥‥墓地にしょっちゅう行ってると、
こんなことを考えちゃうのでしょうかね?
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ナイスなタイミングで。(『ナイスな』は日本に渡って来て日本でもう死んだな(笑))
今と昔は違うので、昔の人はもっと覚悟を持って海外に来たことだろう。

「死ねば一緒じゃん、嫌いな場所で死ぬんじゃなかったらどこでもいいよ」
と、さっき連れ合いが。

……(笑)
「死、は存在しないので考えられない」と哲学的には強く確信していると普段嘯いているくせに、死ぬ前の話になると…(笑)

死に場所に想いを馳せて、ぼーっとスペインの34℃の太陽の下。