2010年9月11日土曜日

予測と制御

近代科学は「予測」と「制御」のために成り立っていると言っても過言じゃない。
予測は制御をするために役立つ。

ま、そういう意味でも日本で文系と言われている学問がおかみに軽く扱われるのは、悔しいけど仕方のない面もある。
僕らは「予測」のさらに下準備の段階と、「制御」をもう一段階越えたところの研究をしているはずだから。

近代科学がなぜ「予測」と「制御」に走ったかは簡単で。
それは人間が「予測」のつかないものや「制御」の叶わないものに接すると非常に不安だからだ。
例えば、電車で隣に気のふれた人が座ったり、酔っぱらいが座ったりするとみんな嫌だろう。
それはひとつに、彼らが次どのような行動をするかの「予測」がつかず、自分を含めた環境の「制御」がとれないからだ。

天気や地震を予測して、できる限り制御しようともする。

「予測不可」や「制御不能」という中世的な状態を僕らは近代科学、という誰にでも分かり易そうな、網目のとてつもなく荒いふるいにかけて理解しようとしている。

…なんてことを、今日スーパーのレジでジャリ銭を手から落としたときに思い出した。
大体、どこに行っても最後まで慣れないのが小銭の扱いだ。


スーパーに来る前にいくら持ってるかちゃんと見て。
これはこうやって使おう、と予測しておかねば(笑)
短時間の支払いでは制御が効かない(笑)
…そしてジャリ銭王、君臨。

予測外のことと言えば…
昨日のレティーロ公園では。


えっ、もう紅葉ですか?
確かに昼夜の寒暖の差は激しい。

そしておととい、予想外にバッタリ会った教え子達には。
制御不能にならない程度にバルを紹介してあげた。



ましかし、予測と制御を知らないこゆきと。
よき中世の香りを残す(?(笑))スペインに。
鍛えらるこの1年は貴重だな。