2010年10月13日水曜日

事実と深読

ウンベルト・A子、じゃない(笑)エーコの本に「読みと深読み」とかいうタイトルがあったような。

「読み」という言葉から、文字を読むことを一番に連想するように。
恐らく僕らは音声情報を読む方が、映像情報を読むよりも得意である。
得意、というのは間違っているかも。
楽、という表現が近いか。

クイズ番組なんかで一定時間少しづつ映像が変化して行く様を見せられ、最初と最後で違う所は何?
みたいなのがあるが、あれは難しい。
情報量が小さけりゃいいんだろうけど。
ある一定より情報量が大きいと全体を把握できないもんな。
その細部が変化しても認識できない。
逆に映像の方が僕らが認知できる(識別しようとする)情報量が多いとも言えるのか。
色、形、様態、動き……

それに比べると。
「みゆき」→(この間に「み」から「こ」へと連続的な音声変化を機械で作って断続的に聴かせる)→「こゆき」、とやって。
さて?と訊かれればすぐに分かりますわな。
音声の中で言葉として機能する情報量(領域)はごく限られている。
だから分かり易い。

で、僕がいないときのこゆき。
映像から判断する。
様子を見ていると、何かいらいらしているよう。
これは長年の付き合いで映像だけでも総合的に分かる(笑)
尻尾、顔つき、キックキック…

分かり易い音声の言葉が彼女らにはないから何を言おうとしているかはっきりとは分からない。
僕がいないから寂しいのか…なんて勝手に読んだりする。



…これに20時前というコンテキストを付けるだけで。
あ〜、バルに行きたいんだ、という推察ができる…

「KYと 読まれる君の 幸せよ」