2011年2月16日水曜日

時間と再会

数日前から高橋源一郎氏が Twitter とほぼ日の連携で「小説ラジオ」をやっている。
その中で昨日だったか、神話的時間を子どもと老人は持つ。
という魅力的なお話をしていた。

僕も違う角度からちょうど似たようなことを1年弱前に書いたが。
僕は、子どもや老人でなくとも、いつでも僕らは神話的時間を過ごしていると思う。
(神話的時間、については Twitter の @takagengen で)
それは子どもや老人に限ると「神話的」時間と修飾されようが。
もっと一般的に言えば「物語的」時間、と呼びたい。
もちろんインテリ源ちゃんはそんなことは分かって言ってるわけだ。

一昨日と昨日、僕は楽しい再会を三つした。
ひとつは6年ぶり。
ひとつは10年ぶり。
最後は1年半ぶりくらいかな。

ひとつは Twitter 上で。
ひとつは突然我が家を尋ねて来てくれて。
最後は待ち合わせをした。

6年や10年や1年半という、計量可能な基準が、あっという間に "0" に近くなり。
それぞれに何年も前の思い出が、手の中に、目の前に、出現するわけだ。
この、時を越えて出現する、という「実感」こそが、「物語的」であると思う。
そしてそれはまぎれもなくリアル。
子どもや老人はそのリアリティーがより日常的であることは間違いない。

で、三つの再会はたくさん僕の中のものを刺激してくれた。
また、おいおい書くかも知れません。