2011年8月24日水曜日

混沌は濃緑と濃藍で


都会の小論理が田舎の大混沌(カオス)を治められるはずがない。


テレビの、政権争いやタレントの進退など大混沌にとってみればなんのことはない。
小論理の中で小難しく装った茶番は、録音された小説。
分かり易いストーリを二重にも三重にも重ねて難しく見せる。


一方大混沌は、筋が見えない。
見えないが全体として非常に分かり易く美しい。
そのコアが見えないままに全てが合理的である。
そう、僕らは感じる。


小論理が大混沌を乗り越えようとするとき。
起こることは大体分かっている。
オーバーフローした出来事は、もはや確認するまでもなく、僕らの身の回りに。


僕らの小論理がどれだけ小さいのかをもう一度確認するには。
やはり一度、混沌に押しつぶされてみるしかないのかもしれない。


原チャで田舎をたらたら走りながら考えたこと、さっき。
実家に帰省中の身であります。