2010年3月29日月曜日

舞踏と闘牛

土曜は日本からいち早く訪西してきた大学の同僚である A先生一家と Café Chinitas というタブラオ(フラメンコなどのショーを見せるレストラン)に行った。
もちろん商業的な香りのプンプンするステージであるが、やはり本場は本場、魅せてくれる。


連れ合いも久しぶりに好きなフラメンコを見られて興奮していた。
落ち着いたら教室にも通いだすことだろう。

Café Chinitas に向かう プラサ・デ・サント・ドミンゴ周辺は、3年前に来た時は大工事中で気持ち悪かったが、ここも今は遠くまで見渡せるような広場になっている。



夜中の1時まで堪能した。

次の日曜は疲れて昼までゆっくり寝た。
昨日書いたようにサマータイムに変わったため、1時間損をしたような気分になりながら。

スーパーに買い物に行くと、マヨール通りにデモの集団。
「闘牛反対」のデモだった。


昔から文化としての闘牛擁護者と、動物愛護の反対派が鬩ぎあっている。
もちろん近代に入ってからでしょうがね。
これは永久に争うべきであると思う。
どちらかが勝ってはならないし、どちらかを勝たせるようなスペイン社会にするべきではない。

闘牛にはスペインの美意識の根幹があると思う。
歴代のアーティスト達は敏感にそれを感じ取ってきた。
絵や音楽や文学や。

叱られる事を承知で言うなら、
闘牛反対のデモに出ながら、闘牛場に行けばいいと思う。
闘牛を知らない若者達は。

どこぞやのクジラやイルカの問題もひっかかる。
文化を知らない、尊敬しない、あるいはそれを見ないようにして踏みにじろうとする人間達の顔は、大体同じ匂いがする。

もちろん愛犬を持つぼくは、四足獣に対する愛は人一倍強い事を知ってもらった上の話しで。

2 件のコメント:

  1. mixiのpepeです。
    ギタリストのおじさん、どっかで見た顔だなって思っていましたが、おじちゃまフラメンカギタリスタは大体こういう顔つきだなってことに気付きました…
    クジラにしても牛にしても、動物保護団体が謂わば人間的な感情みたいな側面を完全にそぎ落とした形で活動しているのではないでしょうか。食欲だったり、美的感覚だったり。でもそういう彼らだって、自分を死なせて、動植物を食糧として犠牲にするのをやめようということにはならないじゃないですか。
    動物保護団体の活動の動力がどこにあるのかはわかりませんが、少なくとも彼らの活動は、闘牛撲滅を推し進めるよりも、闘牛擁護派が闘牛の文化やスペイン人の死生観を思考する材料として提供される可能性の方がはるかに大きい気がする。世界を均一化する意味での彼らの行動が、逆に地域の独自性を強調する効果を高めるというジレンマを、彼らはどう見るのでしょうかね。

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  2. > sun-jian-zhong

    Pepeさん、コメントありがとう。

    >世界を均一化する意味での彼らの行動が、逆に地域の独自性を強調する効果を高めるというジレンマを、彼らはどう見るのでしょうか

    これを意識できるなら、これでいいんでしょうね。
    デモに参加しながら、闘牛に行け、という僕の意識も、この辺にあると思います。

    自分、や、人間、の根っこがどこにあるのかを意識しようとする気がどっかにあればそれでいいと思います。

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