小論理と大混沌の話の続きであるが。
少し教育の仕事に近づけて考えると。
小賢しい大人の小論理が、子ども・学生の大混沌を押さえられるわけがないのである。
しかも、小論理の論理が時代を経て一部変遷したりもする。
かつ、多くの大人がその小論理をうまく言語化できない。
小論理を学ばせるなら、固定化した言葉を読む方がよっぽど良い。
僕らがグタグタ言うより立派な諸先輩型が良い本をたくさん残してくれている。
とすると、僕らには何ができるのか。
ひとつに学ぶ環境を作ってあげるということ。
あとは、言葉は悪いが、一緒に遊んであげること、かっこつければ、一緒に学ぶことしかないと思う。
幼稚園から大学まで、同じか。
そりゃそうだ。
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