2010年4月10日土曜日

構内と構外

10年前と比べると経済状態がよい、という事が一目で分かる証拠のひとつが、大学構内に駐車された車の数だ。
学生が車で大学に来ているということ。
大学は決して街の中心から遠いわけではない。
僕が住むマドリードの中心から地下鉄とバスで30分かからないのだから。


街を走る車も、昔は窓ガラスがなかったりしたものだが、今は立派な車が走っている。


昨日は前もって読んでおきたい本があったので早めに大学に行って、学食でボカディージョスをかじりながらページをくった。
以前は授業でプレゼンをする前の緊張をほぐそうと思って敢えてビールを1本飲んでいったりしたものだが、昨日文献を読みながら飲んでると結構いい気持ちになってしまった(笑)…控えよう…(笑)


授業はやはり、色んなスペイン語の例文をつぶさに吟味する授業で面白い。

夜は来る前にお世話になったスパニッシュコミュニケーションズの Oさんと彼女の彼氏の R君と一緒にお食事をした。


Oさんはいったん日本のお仕事を辞めてフラメンコを学びに来た。
R君は高校を卒業してからすぐスペインにサッカーを修行しにやってきている。もう6年になるそうだ。
いろいろお話をした。
意志のある青年達だ。
 
再来週、R君の出るサッカーの試合を見せてもらうことになった。
楽しみだなぁ。

2010年4月9日金曜日

変化と冷静

27の頃だった。ちょうど今から12年前。
スペインに来て少しだけ姿勢を変えたことがあった。
そうしないとあらゆるものを吸収できないな、と感じたから。

それまでは沢山の服を一生懸命着込んでいっていた。
これからは出来るだけ服を脱いでいこうと考えた。

抽象的で済みません。

そしたら随分と楽に色んなものを吸収できるようになった。


その姿勢は今でもなるべく保つようにしている。

人間は毎日変化する。
望もうとも望まずとも。
いい方向にも悪い方向にも。
しかし、変化する事に対して通常、僕らはあまり覚悟が出来ていない。
なんせ昨日の自分は今日の自分、そして今の自分だ、と強く信じているから。
そうでなきゃ、やってらんないよ、というのも分かる。

でも変わるんだなぁ。
いつでも覚悟していたい。
自分にも他人にも。

我らふたりと1匹も着実に変わっていて。
最近はスペインの街中で待ち合わせをしちゃったり(笑)


こゆきも散歩コースに落ち着いたゴールデンの友達が出来たり。
…まだまだ慣れないけど(笑)


今日は数年振りに母校でスペインの指導教官に会っていろいろ話をした。
スペインの大学のシステムもがらっと変わった。
この数年はそして特に今年度は、ボローニャプランというEU内での大学システムの統一化を図る計画が始動している。

大学院の授業に出た。
クラスの雰囲気も変わったように感じたが、これは恐らく、周りと自分に世代の差が生まれているせいだろう(笑)
教室の窓から見える風景は変わってないな。


帰りに連れ合いと待ち合わせて、10年前に住んでいた家の付近を散歩した。
こちらは少し荒れた感じがした。


以前からマンガ屋がいくつかあったのだが、これが店舗数を増やし、マドリードの小秋葉になっていた(笑)


帰りに通ったグランビアはこの前の日曜日で100周年。
そりゃぁ、随分と変わったんだろうな。
10年そこいらで、変わった、というのは、まだまだなのかな。

2010年4月7日水曜日

徒然と変化

チリモーヤはキウイとマンゴーの中間くらいの感覚。あれ、パパイヤはどんな味だっけ?
クリーミーでおいしい。
連れ合いも、種が多いのを除けば満足と。



熟したやつを買ってきたのですぐ食べた。

そして今朝は無事に大学へ行くバスもあり、後期の授業を確認し、買わなければならなかった文献も無事見つけ、また明日から本格的に授業に参加となる見込み。
僕がドクターをやっていた10年前とは随分とシステムも変わっているが、授業はさて、どんな感じでしょう。

連れ合いが、僕より頻繁に、一人で外を歩き回るようになってきた。
嬉しい。
一人で不安な時は、僕に、一緒にあっちに行こう、こっちに行こうと言ってくる。
僕もやる事が段々増えてきてはいるのだが、彼女の勢いには負けるし、行って楽しい。
さて、僕の生活のリズムもうまく作っていかねば。

夕方、家の近所とは違う少し離れた市場に行く途中。
「さんまみたい、じゃ、隣はたけし?」
と世代特有の反応を見せる連れ合い(笑)
いや、志村か?(笑)
ガラス面に、"Disfraces para despedidas de soltero/as"=「独身最後の夜のパーティーの仮装衣装」
余計訳が分からん(笑)
つまり、最高におふざけなさい、そんなときに使う衣装よ、という事ね。


今は歩き疲れて、三鷹のソファーと同じ状態(笑)
穏やかな宵。


2010年4月6日火曜日

予定と意外

セマナ・サンタも終わって、朝から大学に行った。
モンクロア(大学の近くの地下鉄の駅)でバスに乗り換えようと思っていたら、目当てのバスがこない。
20分位待って、別のバスの運ちゃんが手で合図をくれる。
ワイパーみたいに右手の指を降るやつ。
ん、と思って、話しにいく。
今日は文献学科の授業はないらしくて、バスは出ないよ。
…HPでは今日から開くと出てたのに…
…であるが、こんな事は日常茶飯事(笑)
そのまま別の用事をしに方向転換(笑)

一通り用事を終わらせて、家に帰り、連れ合いと一緒に買い物に。
スペイン人の友人に連れ合いに食べさせろと言われてた Chirimoya(チリモーヤ)を見つけて。
買って。
この話は明日。


いくらか買い物をして、家に帰ってから、こゆきを連れて、先日書いた近所のバル、IRIS(イーリス)に。
いきなりサービスで Callos(カジョス:モツの煮込み)を出してくれたから、こゆきが大興奮(笑)
加えて、マスターがチョリソの塩分のない部分をこゆき用にくれる。


で、見知らぬ料理を興味津々で頼んだら、これがまた恐らく腸をくるくる巻いてさっと揚げたもの。
こゆき、卒倒しかけ(笑)


今日はバル IRIS のマスター、ニカ(本名、イグナシオ)と鳥や豚の屠殺の話から、最近のスペインでの食べ物の流通システムの話になった。
今の肉類、魚類の流通は登録制が義務になっていて、うちで飼っている家畜を勝手にしめて食べる、人にあげるという事は基本的にダメらしい。
もちろん家庭のみで楽しむ分には問題ないだろうが、売ろうとすると、知り合いだからといって勝手にやってはならないらしい。
昔は(ニカは20年〜15年前くらいから変わっていったと言っていた)よく知っている知り合いから安くおいしい肉を手に入れていたらしいが。
必然、全ての食料店、飲食店が流通経済に巻き込まれて値段が上がる、という事だ。
味もそれまで通りの保証の限りではなくなる。

なんか、どこも同じだなぁ。
システムに任せないと保証や信頼が保てなくなる。
んー、純粋な地産地消は夢ですかね。

2010年4月4日日曜日

独言と会話


言葉を生業にしているが、言葉のない世界を強く意識している。

存在の持つリズム、というもの。
波長の同期。
こんな事は言葉にしても理解を得られないものの代表だけれど。

フィーリングが合ったんだよ。
直観でしょ。
なんて言うのは、たわいもない、その時の言葉かもしれないけれど。
僕は実はそれに尽きるとも思っている。

フィーリングが合ったんだよ。
直観でしょ。
を説明するために、その言い訳をするために、言語の歴史があったのだ、と言ってもあながち間違いではないとさえ考える。


色んな場所で書いたが、僕らの研究の中の大きな発見、業績は、直観を説明する力だ。
フィーリングに対する世間的な言い訳が、いかにうまいかだ(笑)


今回のスペインは。
こゆきが色んな場所に連れて行ってくれる。スペイン語の分からない連れ合いと共に。
物理的にも、心理的にも。
彼女らには、「言葉という障壁がない」。
言葉は障壁を取り除く以上に、障壁を作るものだ。


本当にやられる。
うちの連れ合いとうちの愛犬のグローバルさには(笑)
日本の大学の教育は全く間違っているね(笑)
…大学の教員の言う事ではありません、あしからず。

 

2010年4月3日土曜日

El monólogo de yuko 〜優子のひとり言〜: とうとう私が・・・・

El monólogo de yuko 〜優子のひとり言〜: とうとう私が・・・・

信仰と行列

未だ「宗教」が分からない。
いろいろ本なども読んだが、余計な知識が付くばかりで、あ、そっか、に到らない。
習慣、とか、しつけ、とか色んな他のタームで理解しようとするけれど、もちろんやはりしっくりこない。

大体こういうときは問題設定自体が間違っている。
つまり「宗教を分かる」、分かろうとするやり方が間違っているという事だ。
「分かる」ことは土台無理かもしれない、ということ。


連れ合いに言わせると、その宗教が身近にある、というのはもちろん習慣だが、最後は個人の信じる力だろうと。
身近にあったって、信じなきゃね。
それはそれで至極正しい。

分かろうとするやり方ではなく僕にも「分かる」のは、故郷で墓参すると、ぁあ、なんか気持ちいいな、ということ。
これは確かに感じる。
こういう事なのであろうか。
 

日曜のパスクア(イースター)に向けて、今週はセマナ・サンタ(聖週間)である。
昨日はマドリードのある通りで、その教区のイースターを祭る行列を観た。



民衆の熱狂と荘厳さに、分かりそうで分からない、もやもやした気持ち悪さが際立つばかりだった。