2010年8月14日土曜日

経験と混沌

まぁ、単純な話。

犬の7歳は人間の40歳以上ですよ、とか。
フラメンコは日本の民謡みたいなものだ、とか。

例えとしては面白いのだけれど。
それをそのまま解釈してしまうと、大間違いの元ですよ。
という危機感がいつもあるのだ。

西和辞典を引いて、"bueno" は「よい」とか。
"bonita" は「かわいい」とか。
ここにも危機感を持つ必要がある。

さらに言うと、
ある事象を言葉に翻訳する。
女の子を見て「かわいい」とか(笑)
音楽を聴いて「いけてる」とか(笑)
ということ自体が危険だと。
…あ、危険なことをやってるんだな、という気持はいつも持っておかないといけない。


で、マドリードはこの数日異常に涼しい。
ご覧あれ。



スペインと日本の夏の暑さは相対する、という僕の仮説も。
あながち間違ってないかも。

混沌と経験

翻訳できないのだから仕方がない。
あるいは翻訳しても仕様がないのだ。

翻訳、というと語弊がある。
分かるように言い換える、とも言える。

これが僕らの感覚をダメにする。

ある事象はそれだけで充足されている。
説明の余地はないのである。

経験則意味。
その間に面倒な説明は要らない。

実は言葉自体がそうなのである。
言葉を経験することが言葉の意味なのだ。

説明することは不要だ。
説明を楽しむなら、その愚かさを踏まえた上でないといけない。

…と説明している、僕はまた、不要である(笑)


えっと、これはこゆきの毎朝のブラッシング…(笑)