翻訳できないのだから仕方がない。
あるいは翻訳しても仕様がないのだ。
翻訳、というと語弊がある。
分かるように言い換える、とも言える。
これが僕らの感覚をダメにする。
ある事象はそれだけで充足されている。
説明の余地はないのである。
経験則意味。
その間に面倒な説明は要らない。
実は言葉自体がそうなのである。
言葉を経験することが言葉の意味なのだ。
説明することは不要だ。
説明を楽しむなら、その愚かさを踏まえた上でないといけない。
…と説明している、僕はまた、不要である(笑)
えっと、これはこゆきの毎朝のブラッシング…(笑)
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