予想は外れるためにあるのかもしれず。
ありがたいことに、肌寒い。
連日35℃が嘘のよう。
大学は今週、来週辺りが今年度の最後の試験で夏休みに突入する。
先日日本のセンターにあたる Selectividad も行われた模様。
新年度は10月からだ。
指導教官に会いにいくと、教官室の前に学生の山。
テスト前の質問攻めである。
……少し日本の仕事のことを思い出してしまった…
スペインにいる間はこちらでしか味わえないことを沢山やろうといつも意識しているのだが。
先週の土曜日は Museo Nacional Centro de Arte Reina Sofía(ソフィア王妃芸術センター)に。
土曜は午後の2時半から無料。
ゲルニカを久しぶりに堪能。
次の日曜はりょうた君の出る2度目のサッカー観戦に。
勝った!
まぁ、しかし、意識すればするほど、日本の記憶も蘇り易くなるもので(笑)
そして、そろそろ、夏のスペイン訪問者達の予約連絡が届く時期。
でもこゆきはマイペース。
むむぅ。
暑い夏は日本にいるときよりも忙しいかも…(笑)
2010年6月10日木曜日
2010年6月5日土曜日
暑気と古都
ということで、トレド小旅行です。
こんもりとした丘の周りをタホ川がゆったりと流れる古都なのだが。
前回訪れたのは何年前か?
その時と随分様子が変わった。
丘なので、街の中央にたどり着くまでに随分と坂を登る必要がある。
はずが、だ。
なんと、丘の中腹辺りに、エスカレータが。
一カ所だけではなく、何本も。
幸いなことに、それを知らなかった我々は、ゆったりと(そう、ゆったりと)階段を。
汗を垂らしながら。
しかし、この階段も実は近年できたもの。
観光し易さと、よき旧跡である、ということの間には、比例関係はないな。
あの坂を登らずして、トレドを往来した様々な民族の跡は辿れまい。
そして、トレドが優れた要塞であったことも。
観光し易さと比例するのは、観光化しようとする気持ち、つまり人集め魂だけだ。
そして、けっして観光客はそれ、人集め魂を感じに観光するわけではない。
こんもりとした丘の周りをタホ川がゆったりと流れる古都なのだが。
前回訪れたのは何年前か?
その時と随分様子が変わった。
丘なので、街の中央にたどり着くまでに随分と坂を登る必要がある。
はずが、だ。
なんと、丘の中腹辺りに、エスカレータが。
一カ所だけではなく、何本も。
幸いなことに、それを知らなかった我々は、ゆったりと(そう、ゆったりと)階段を。
汗を垂らしながら。
しかし、この階段も実は近年できたもの。
観光し易さと、よき旧跡である、ということの間には、比例関係はないな。
あの坂を登らずして、トレドを往来した様々な民族の跡は辿れまい。
そして、トレドが優れた要塞であったことも。
観光し易さと比例するのは、観光化しようとする気持ち、つまり人集め魂だけだ。
そして、けっして観光客はそれ、人集め魂を感じに観光するわけではない。
2010年6月3日木曜日
2010年6月1日火曜日
海外と墓場
こちらに来て、既にこちらで家庭を持っている日本人、これからそうなるであろう日本人何人かと会った。
僕のそれらの知り合いはたまたま全て女性だ。
ちょうど想いを馳せていた。
散歩やウォーキングをしながら連れ合いと。
彼女達はこれからこちらで歳を取って、おばあちゃんになって、スペインで死んで、墓にはいるのかな、と。
深くは考えないままに、なんか凄いなぁ、と想っていた。
そしたらタイミングのいい事に、「ほぼ日」の今日のダーリンで。
(ほぼ日刊イトイ新聞5月31日版「今日のダーリン」より抜粋)
**********
・青山霊園には、たくさんの外国人のお墓があります。
いろんな理由で、さまざまな事情で、
日本に来て、なにかをなした人たちなのでしょう。
大きさもあるし、かたちもていねいにつくられていて、
きっと当時の人々に、大切に葬られたんだろうなぁと
想像することができます。
江戸から明治にかけて、日本が開国し、
新しい制度、新しい産業、新しい文化をつくるためには、
「先進国」からきてくれる
たくさんの「外人」さんたちが必要だったわけです。
その要請に応えて、この島国にやってきた人たちが、
たくさんいたんだろうなぁということを、
日本のとちがったかたちのお墓を見ながら
「犬とおとうさん」はしみじみ思うんですよね。
そしてね、この外人墓地の数々が、
だんだんと「無縁仏」になっていってるらしいんです。
故郷を離れて、この島国にやってきたのだから、
親族やらたくさんの友人たちとは、
いったんお別れしてきたわけですから、
お墓参りする人や、
管理料を定期的に支払う人も
途絶えてしまうということだって、
そりゃ、あるでしょうよねぇ。
外国で骨をうずめるって、そういうことなんだなぁ。
国際的な仕事が求められているとか、
国境を越えた活躍とかって、よく言われるけれど、
ストーリーは、こんなに先までつながっていくんですね。
じぶんの骨が海外に埋められているところを想像して、
散歩中の「犬とおとうさん」は、
じーんとさみしい気持ちになったりしてます。
それでもこれからの時代は、
海の外へ向うこと、国境のあっち側へと向う人が、
多くなっていくんだろうなぁ。
そういう人は、お墓に入るときには戻るのかな?
‥‥墓地にしょっちゅう行ってると、
こんなことを考えちゃうのでしょうかね?
**********
ナイスなタイミングで。(『ナイスな』は日本に渡って来て日本でもう死んだな(笑))
今と昔は違うので、昔の人はもっと覚悟を持って海外に来たことだろう。
「死ねば一緒じゃん、嫌いな場所で死ぬんじゃなかったらどこでもいいよ」
と、さっき連れ合いが。
……(笑)
「死、は存在しないので考えられない」と哲学的には強く確信していると普段嘯いているくせに、死ぬ前の話になると…(笑)
死に場所に想いを馳せて、ぼーっとスペインの34℃の太陽の下。
僕のそれらの知り合いはたまたま全て女性だ。
ちょうど想いを馳せていた。
散歩やウォーキングをしながら連れ合いと。
彼女達はこれからこちらで歳を取って、おばあちゃんになって、スペインで死んで、墓にはいるのかな、と。
深くは考えないままに、なんか凄いなぁ、と想っていた。
そしたらタイミングのいい事に、「ほぼ日」の今日のダーリンで。
(ほぼ日刊イトイ新聞5月31日版「今日のダーリン」より抜粋)
**********
・青山霊園には、たくさんの外国人のお墓があります。
いろんな理由で、さまざまな事情で、
日本に来て、なにかをなした人たちなのでしょう。
大きさもあるし、かたちもていねいにつくられていて、
きっと当時の人々に、大切に葬られたんだろうなぁと
想像することができます。
江戸から明治にかけて、日本が開国し、
新しい制度、新しい産業、新しい文化をつくるためには、
「先進国」からきてくれる
たくさんの「外人」さんたちが必要だったわけです。
その要請に応えて、この島国にやってきた人たちが、
たくさんいたんだろうなぁということを、
日本のとちがったかたちのお墓を見ながら
「犬とおとうさん」はしみじみ思うんですよね。
そしてね、この外人墓地の数々が、
だんだんと「無縁仏」になっていってるらしいんです。
故郷を離れて、この島国にやってきたのだから、
親族やらたくさんの友人たちとは、
いったんお別れしてきたわけですから、
お墓参りする人や、
管理料を定期的に支払う人も
途絶えてしまうということだって、
そりゃ、あるでしょうよねぇ。
外国で骨をうずめるって、そういうことなんだなぁ。
国際的な仕事が求められているとか、
国境を越えた活躍とかって、よく言われるけれど、
ストーリーは、こんなに先までつながっていくんですね。
じぶんの骨が海外に埋められているところを想像して、
散歩中の「犬とおとうさん」は、
じーんとさみしい気持ちになったりしてます。
それでもこれからの時代は、
海の外へ向うこと、国境のあっち側へと向う人が、
多くなっていくんだろうなぁ。
そういう人は、お墓に入るときには戻るのかな?
‥‥墓地にしょっちゅう行ってると、
こんなことを考えちゃうのでしょうかね?
**********
ナイスなタイミングで。(『ナイスな』は日本に渡って来て日本でもう死んだな(笑))
今と昔は違うので、昔の人はもっと覚悟を持って海外に来たことだろう。
「死ねば一緒じゃん、嫌いな場所で死ぬんじゃなかったらどこでもいいよ」
と、さっき連れ合いが。
……(笑)
「死、は存在しないので考えられない」と哲学的には強く確信していると普段嘯いているくせに、死ぬ前の話になると…(笑)
死に場所に想いを馳せて、ぼーっとスペインの34℃の太陽の下。
2010年5月30日日曜日
薔薇と風景
薔薇が美しい季節だ。…というには少し過ぎたか。
大学の構内にもきれいなバラが。
見るからに薔薇、というバラだ。
「薔薇」という漢字は、バラの花びらの複雑さを思わせてよい。
景観、
というのは総合的なものだ。我々人間までも含んでしまう。
時々、スペインの街並を見ながら、どこをどう換えたら、日本、になるだろう、と想像する。
見る角度によってや瞬間的な光景は、日本のものに見えることも少なくはない。
もちろん、見る側が、ここはスペインだ、という徹底的な先入観を持って判断しているんだから、かなり難しい想像ではある。
建物の色、建物の高さの均一性。
電柱の有無、店の看板の出し方。
道幅の広狭、道路脇の植物の種類。
窓際には洗濯物を出さない。
考えればきりがないのだが。
今日、こゆきと散歩しながら連れ合いとも話した。
ふたりでピッタリ一致したのは、やはり空の広さ。
これが一番異なる。
これは、上で挙げたかなりの要素と実はリンクしている。
田舎でも日本は山がちなので、この広さはないんだよな。
広大な関東平野は、ね。承知の通り人工的なヤマがね。
奈良辺りの平城京の名残の神社仏閣の空が、僕の中ではスペインの空に近い。
昔の空はみんなこうだったか。
見上げれば、それだけで、そこで自分と世界がぶつかったり、交じりあったりしたんだな。
夜はどれほど恐ろしかったろう。
大学の構内にもきれいなバラが。
見るからに薔薇、というバラだ。
「薔薇」という漢字は、バラの花びらの複雑さを思わせてよい。
景観、
というのは総合的なものだ。我々人間までも含んでしまう。
時々、スペインの街並を見ながら、どこをどう換えたら、日本、になるだろう、と想像する。
見る角度によってや瞬間的な光景は、日本のものに見えることも少なくはない。
もちろん、見る側が、ここはスペインだ、という徹底的な先入観を持って判断しているんだから、かなり難しい想像ではある。
建物の色、建物の高さの均一性。
電柱の有無、店の看板の出し方。
道幅の広狭、道路脇の植物の種類。
窓際には洗濯物を出さない。
考えればきりがないのだが。
今日、こゆきと散歩しながら連れ合いとも話した。
ふたりでピッタリ一致したのは、やはり空の広さ。
これが一番異なる。
これは、上で挙げたかなりの要素と実はリンクしている。
田舎でも日本は山がちなので、この広さはないんだよな。
広大な関東平野は、ね。承知の通り人工的なヤマがね。
奈良辺りの平城京の名残の神社仏閣の空が、僕の中ではスペインの空に近い。
昔の空はみんなこうだったか。
見上げれば、それだけで、そこで自分と世界がぶつかったり、交じりあったりしたんだな。
夜はどれほど恐ろしかったろう。
2010年5月27日木曜日
会話と粒言
教えていた通訳学校の社会人の生徒さんに誘われて mixi に入ったのは覚えている。
でも1年以上放っておいたかな。
その内、周りの人からマイミク申請がきて、あ、そういえば入っていたな、と思い出した。
色々な人が見たり、探していたりするんだ、ということに気付き、じゃ、「殺しておく」よりは、と思い、ひと月に一回くらい雑文を書く事にした。
コメントがあるのでそれなりに楽しくやっていた。
タイトルや内容に制限を設けて、短歌・俳句形式なども元来好きだから。
Facebook は確か、学生に、先生やってないんですか?,と聞かれてその存在を知り、アクセスして登録だけしておいた。
これも「殺したまま」だったが、徐々に「お友達」が増えて来ている。
今やっているこの Blogger は mixi で短歌を書いていたときに、オープンな場所の記録帳が欲しかったので、これは珍しく自分からスペースを探して作った。
でも、これらを書く内容で区別したりして書き分けるほどネタを探す時間はなかったし、今もない。書く時間もない。
大学でIT系の技術屋をやっている友人から Twitter に誘われて、これも何か分からないままに入った。
「つい言った〜」にも慣れないままに、その友人と新橋で酒を飲んだ日、Twitterって何やねん。とお互いに言った記憶がある。
その瞬間、四国の田舎のばあさんが、携帯ってなんやろ、メールってなに?と言った記憶とシンクロした。
持っていても鳴らない携帯。
打てないメール。
メディアを「殺している」。
いや、うちのばあさんは携帯は持ってないけど。
打てない、という技術や慣れは別にして。
鳴らない、というところが多分ミソなんだな。
Twitter はそこをついたんだな。
つぶやき、と。
うまくやったものだ。
つぶやきも聞かれてるなら、またそう意識するなら、つぶやきではない訳で。
しかし聞かれないと、メディアとしては鳴らない電話な訳で。
聞かれているかも、というほんのりとした、実に巧妙な隙間産業ですな。
無数のチャンネルを持つ短波ラジオ。
聴かれているかも。
昔から形は違えあったのだ。この形式は。
そして一応文字数が制限されているので、あのリスト表示形式がそのざわめき感を強調する。
また形式が、従来の日記(ノート感覚)ではなくて、携帯メール(付箋感覚)という…。
ざわめきの中で、ぼそっと感を引き立たせる訳だ。
「聞いてくれ姿勢」なら今までの Blog と何ら変わらなくなる。
それならノート感覚と付箋感覚という表示形式だけの違い。
違うのは、聞いてくれと、聞かなくっていいんだよ、という間に位置するぼんやり感。
プラス、形式の手軽さ。
コメントなくたっていいよ、の寂しさ(笑)
呼べども出ない電話。
聴衆のいないラジオ。
その寂しさを、つぶやき、ということでニュートラルにする。
フォーロー(する)、つぅ言葉がまたちょうどいいじゃないですか(笑)いろんな意味で。
日本語での考えですけど(笑)
プラスにもマイナスにも先行きが面白そうだな。
利用してやろう、なら色々出来そうだし。
無数の付箋の束なら、言葉の垂れ流しで、まぁ、いままで何処にでもあった話だから面白くもない。
Facebook やその他のメディアの掲示板も本当は同じ機能なんだけど、それに特化するかどうかの差は大きかったわけだ。
mixi もこの機能を付けて便利にしたとたんに人気のようだしね。
アクセス数が大事な企業サイトにとって、これはありがたいことだろう。
今回はソフトメディア(と僕は呼ぶ)を自分がどう思っているのかを整理するために書きました。
で、今は、twitter を中心に Facebook の掲示板と mixi のボイスを連携してマルチ放送をしている(笑)
スペインにいる間はそんな感じで。
でも1年以上放っておいたかな。
その内、周りの人からマイミク申請がきて、あ、そういえば入っていたな、と思い出した。
色々な人が見たり、探していたりするんだ、ということに気付き、じゃ、「殺しておく」よりは、と思い、ひと月に一回くらい雑文を書く事にした。
コメントがあるのでそれなりに楽しくやっていた。
タイトルや内容に制限を設けて、短歌・俳句形式なども元来好きだから。
Facebook は確か、学生に、先生やってないんですか?,と聞かれてその存在を知り、アクセスして登録だけしておいた。
これも「殺したまま」だったが、徐々に「お友達」が増えて来ている。
今やっているこの Blogger は mixi で短歌を書いていたときに、オープンな場所の記録帳が欲しかったので、これは珍しく自分からスペースを探して作った。
でも、これらを書く内容で区別したりして書き分けるほどネタを探す時間はなかったし、今もない。書く時間もない。
大学でIT系の技術屋をやっている友人から Twitter に誘われて、これも何か分からないままに入った。
「つい言った〜」にも慣れないままに、その友人と新橋で酒を飲んだ日、Twitterって何やねん。とお互いに言った記憶がある。
その瞬間、四国の田舎のばあさんが、携帯ってなんやろ、メールってなに?と言った記憶とシンクロした。
持っていても鳴らない携帯。
打てないメール。
メディアを「殺している」。
いや、うちのばあさんは携帯は持ってないけど。
打てない、という技術や慣れは別にして。
鳴らない、というところが多分ミソなんだな。
Twitter はそこをついたんだな。
つぶやき、と。
うまくやったものだ。
つぶやきも聞かれてるなら、またそう意識するなら、つぶやきではない訳で。
しかし聞かれないと、メディアとしては鳴らない電話な訳で。
聞かれているかも、というほんのりとした、実に巧妙な隙間産業ですな。
無数のチャンネルを持つ短波ラジオ。
聴かれているかも。
昔から形は違えあったのだ。この形式は。
そして一応文字数が制限されているので、あのリスト表示形式がそのざわめき感を強調する。
また形式が、従来の日記(ノート感覚)ではなくて、携帯メール(付箋感覚)という…。
ざわめきの中で、ぼそっと感を引き立たせる訳だ。
「聞いてくれ姿勢」なら今までの Blog と何ら変わらなくなる。
それならノート感覚と付箋感覚という表示形式だけの違い。
違うのは、聞いてくれと、聞かなくっていいんだよ、という間に位置するぼんやり感。
プラス、形式の手軽さ。
コメントなくたっていいよ、の寂しさ(笑)
呼べども出ない電話。
聴衆のいないラジオ。
その寂しさを、つぶやき、ということでニュートラルにする。
フォーロー(する)、つぅ言葉がまたちょうどいいじゃないですか(笑)いろんな意味で。
日本語での考えですけど(笑)
プラスにもマイナスにも先行きが面白そうだな。
利用してやろう、なら色々出来そうだし。
無数の付箋の束なら、言葉の垂れ流しで、まぁ、いままで何処にでもあった話だから面白くもない。
Facebook やその他のメディアの掲示板も本当は同じ機能なんだけど、それに特化するかどうかの差は大きかったわけだ。
mixi もこの機能を付けて便利にしたとたんに人気のようだしね。
アクセス数が大事な企業サイトにとって、これはありがたいことだろう。
今回はソフトメディア(と僕は呼ぶ)を自分がどう思っているのかを整理するために書きました。
で、今は、twitter を中心に Facebook の掲示板と mixi のボイスを連携してマルチ放送をしている(笑)
スペインにいる間はそんな感じで。
2010年5月25日火曜日
露店と買物
毎週日曜日に開かれているラストロ(蚤の市)を覗いて来た。
すごい人だった。
この前友人のアウトドアグッズを買いに行った c/Ribera de los Curtidores(なめし革職人の岸通り)を中心に迷路の様に入り組んだ裏通りにずっと露店が建ち並ぶ。
「この前あの店で5€で買ったのが1€…、え〜っ!」
と連れ合いが(笑)
自然とバーゲン状態。
マドリードがのっかった丘の南側を下る感じで。
しっかりしたブランドの店から、がらくたを積んでいるフツーの人の露店まで。
賑やかでカラフル。
言葉が悪いけど、ゴミ捨て場をあさる感じの店も(笑)
でも楽しい。
こゆきを連れて行っていたのだが。
足下に並べているガラクタの中から、写るか写らないか分からない(確実に後者…)ビデオカメラを指しながらこゆきを見て、おじいちゃんが。
「このカメラとその犬、交換してくれない?」
………。
連れ合いに訳して、しばらく顔を見合わせて。
「¡¡ No !!」
爆笑!
おじいちゃんも、爆笑。
帰り道でも通りすがりのおばさんが。
「その犬、売ってるの?」
………。
「¡¡ No !!」
もう、オチャメさんばっかりなんだから…。
すごい人だった。
この前友人のアウトドアグッズを買いに行った c/Ribera de los Curtidores(なめし革職人の岸通り)を中心に迷路の様に入り組んだ裏通りにずっと露店が建ち並ぶ。
「この前あの店で5€で買ったのが1€…、え〜っ!」
と連れ合いが(笑)
自然とバーゲン状態。
マドリードがのっかった丘の南側を下る感じで。
しっかりしたブランドの店から、がらくたを積んでいるフツーの人の露店まで。
賑やかでカラフル。
言葉が悪いけど、ゴミ捨て場をあさる感じの店も(笑)
でも楽しい。
こゆきを連れて行っていたのだが。
足下に並べているガラクタの中から、写るか写らないか分からない(確実に後者…)ビデオカメラを指しながらこゆきを見て、おじいちゃんが。
「このカメラとその犬、交換してくれない?」
………。
連れ合いに訳して、しばらく顔を見合わせて。
「¡¡ No !!」
爆笑!
おじいちゃんも、爆笑。
帰り道でも通りすがりのおばさんが。
「その犬、売ってるの?」
………。
「¡¡ No !!」
もう、オチャメさんばっかりなんだから…。
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